花言葉

先日ある人の定年退職のお別れの儀があった。
僕の方からは少し距離のある人で上司とか先輩とか
お世話になった人とは、言えない方である。
数回の御挨拶だけである。
ただ、僅かな関係はあったと思う。

ひょんな時間の偶然からこの方のフィナーレに贈る花束の買い物に付き合わされた。
その席に僕が行く必要は無かったのではあるのだけれども。
お買い物を付き合わされたお相手はかなり年下の女の子だった。
僕の子供位と言ってもいい程の年齢で20代の始まりの頃だろう。
僕は彼女とはこの時が初対面である。
この女の子が花束を選びに行くのでヒマだったら
「お守りで近くに花屋さんが有るからに一緒に行ってあげてくれよ・・・」
と、この女の子の上司に言われ僕も少しの時間があったのでイージーに
「あいよ」とか言ってしまったのである。

この彼女の上司は僕とはほぼ同年代だと思う。
実年齢は知らない。
彼とはそんなにはうまが合うわけでもないが合わないわけでもない。
だからお互いに時間は使っていると思う。
仕事上の関係のみで双方の流れをスムースにしたいと考えているだけだ。
仕事の話をほとんどしないでお酒やランチを供にしたり
お互いに気になる物をチエックする為の時間だ。
友達の様な間柄なんてのは、聞こえは良いが僕は好きではない。
彼も僕の事をそんな所で捉えていてくれていれば幸いだ。

小さなビルを出てから車のクラックションの鳴る喧騒の街を歩き始めた。
夕闇が降りて来そうな、なかをだ。
車のテール・ランプの赤が目に届きやすくなる陽の傾き具合である。
「花言葉って知ってますか?」
と彼女が振り返り、尋ねて来た。
言い終わった時に彼女は僕の正面に身体を向けて立ち止まっていた。
いきなりだ。
彼女はあいそが無い。
一人で僕の事をお構いなく先を歩いていた。
多分、引率される必要を彼女は無いと思っているのだろう。
僕はその花屋さん場所を知らないのだ。
仕方がない。
横に並んで歩いて天気とか季節の話をしてから
「振れよ」と思った。
「はじめまして・・・、とかで始めてからの方が
その先はスムースになるんじゃねぇー」
と語尾を上げて言いたい衝動を僕は抑えた。

「花言葉の意味は解るけど・・・。
例えば百合の花言葉は何なの?っていう話になると知らないよ・・・」
「私だって知らないし。そんな細かい事」
話はエンドだ。
彼女はそれだけを言って振り返り歩き始めた。
僕は若い女の子のあと追うあやしいおやじの様な雰囲気で無言のまま歩いていた。
実にまの悪い瞬間である。
彼女が目的の生花のお店を知っているのでどうしようもないのである。

お店に着いた。
「ここで待って貰っていて結構です。3分位でやっつけて来ます」
と、自動扉の真ん中辺りを右手の中指の第二関節の部分で
戦闘モードでカツンと叩いて彼女は店内に消えた。
悪くないもたつかない所作だ。
彼女はダイエットなんて横文字とは無縁の容姿だ。
骨とプラスチックがぶつかる時の音の様に聞こえた。
そんな音は聞いた事は無い。
「お守り」なんだからどんなアレンジの花束になるのか観た方が良いのかな?
とも思ったけれども近くに有ったバス停の灰皿の有る場所に向かった。
ジャケットのポケットを探っている時に左の脇腹を突っつかれた。
驚いて左に体を向けると彼女だった。
表情が悔しそうに僕には映った。
怒っている様でもあった。
「これ無いって言われた。超感じが悪くて服の趣味もさいていの女に」
と青みがかった花びらの花の写真を突き出した。
「有線の音も嫌い。お店の品位を疑うよ。わたしは・・・」
「おばさん?」
「違うよ。おばさんだったら良いよ。別に。タメ位のドブス」
「・・・・・解ったから。無かった事が嫌なだけだろう?」
僕は黙ってその雑誌かなんかの切り抜きの写真を観た。
「勿忘草」という花だった。
「そうかもしれない。ホントは、その花だけで全部決めたいんです」
と困った顔つきで彼女の瞳が僕の瞳を覗きこんだ。
彼女のその瞳を見つめ返すと、とても澄んでいて
「どうにかしてくれませんか?引率の大人でしょう・・・」
と吠えられている様な気がした。

彼女の上司がお守りを僕に任せたわけが少し解った。
あまり意味を持たせる必要のない儀の為の花束だ。
母からの頼まれ事で自宅に「鶏がら」を買って帰ると母が含み笑いをしていた。
「あっ、お帰り。ありがとう。今、さっき、のりこちゃんと
のりこちゃんのお母さんが来てたのよ・・・。プレゼントだって」
母の向けた視線の台所のテーブルに名前の知らないひとつの種類の花束があった。
僕が中学校の一年生の時の事で30年以上も前の記憶だ。
半ドンの土曜日の夕方だった。

その花束はお花屋さんからの物では無い事は一目で解った。
「何だよっ、これ、花なんかいらねぇーよ」
「勿忘草ってお花よ。知ってる?」
母の含み笑いは続いている。
「知らないよ。この花の名前なんか。腹減ったよ。ごはんまだ?」
「のりこちゃんのお家引っ越しちゃうんだって?」
「そうなんじゃない?今晩は何?」
「鶏のから揚げとマカロニサラダと
キャベツとベーコンの煮物。汁多め。味噌汁代わり」
「早くしてよ。腹減り過ぎだよ」
「お母さんはのりこちゃんのお母さんと仲が良いのよ」
「知ってるよ。たまに来てんじゃん?」
「この間のクリーム・シチューはのりこちゃんのお母さんから頂いたのよ」
「あっ、あれは美味かったよ。また、作って貰ってよ」
母の含み笑いはまだ続いている。
「だから、のりこちゃんのお家は引っ越しちゃうんでしょ」
「あぁ、そうか・・・」
「お母さんはのりこちゃんのお母さんが遠くに行っちゃってやっぱり寂しいのよ」
「ふぅーん。のりこの母ちゃんと母ちゃんは友達っぽかったよな。そう言えば」
「そうなのよ」
「会いに行けば良いじゃん?たまには」
「お母さん達はそれなりに忙しいし、遠いのよ」
母の含み笑いがかすかに減った様な感じがこの時僕にはした。
花束の隣にケーキの白い箱が在った。
ケーキの方はその当時の僕の御近所の評判の良いお店の物だ。
このお店のお品の中ではその頃の王道のストロベリーのショートが僕は好きだった。
パンと洋菓子のお店だった。
「スィーツ」という単語の登場にはまだまだ時間と年月が在る。
「あのね、ケーキの方はお母さんからなの。みなさんでって。
それでそのお花の方がのりこちゃんからあなたに・・・だって。
花言葉をのりこちゃんはお母さんに教えてくれたのよ」
話の途中で僕は自分の部屋に行ったと思う。
多分その土曜日に学校の同じクラスの男友達に借りた
その週のマガジンを読みたかったのだったと思う。
台所の方から母が大きな声で
「引っ越してからは手紙を書きなさい」とか、
「あさって学校に行ったらお礼を言いなさい」とか
「花言葉はね・・・・・」
などと、言っていた様だった。
過去の記憶を僕には、とても大切だ。
と、僕はおさまりが着いてはいるのだけれどもその記憶は
時を経た時には強く曖昧で自分にとって都合の良い事だけかもしれない。
「一人でたそがれてませんか?」
「あっ・・・」
「とりあえず煙草吸えば?」
と僕の左手に有ったブルーのパッケージの箱に
目をやり、バス停のベンチに例の如く彼女は先に座った。
火を付けながら僕が隣に座ると彼女は立ちあがり、後ろの自販機を見つめ
「コーヒーで良い?」とブラックの物を二つ買ってきた。
「私も吸おう。シークレットですけど。会社や彼の前では」
と僕と同じ物を小さなコットンのショルダーから取り出した。
そして彼女の最初の煙が出終わった。
「俺、実はこの写真の花束貰った事あるよ」
「それだけのやつ?」
「そう」
「誰から?」
「チュウボウの頃に隣のクラスの子から」
「チュウボウ?男の子だったりして?」
「いや、女の子」
「男の子の方が話は面白いかも・・・」
「話としてはね」
「その女の子はこの花の花言葉を知ってたと思うな。私は」
「そうだったと思うよ。俺も。彼女が引っ越す時の俺へのブツだったから。
だけど俺、実は未だにこの勿忘草の花言葉は知らないんだ」
「うわっ、このおじさん、さいてぇー。ひぃでぇー」
「自分でもわかってんだから言うなよ」
「ごめんなさい。多分なんだけど。彼女の事は嫌いじゃなかったよね。
いっしょにいても疲れなかったでしょ。でも、気になる女の子が他にいたって感じ?」
「参るな。大当たりだよ」
「ホント?」
「細かい事言いだしたらキリがないけどさ。今度は君の番じゃない?」
「あっ、私、ゆうみです。夕方の海、そのまんまですけど」
「そのネタで一笑い出来そうだけど」
「出来ますよ。とぉーぜん。でも、それはまた今度でしょう?
だから・・・。
私があの人にこの花だけで花束決めたい理由及び
その花言葉が知りたいって事だと思うんですけど・・・」
「そうだよ。とぉーぜん」
「勿忘草の花言葉を知らないんですよね」
「そうだよ。さっきから言ってるよ」
「その言葉を考えた事有りますか?」
「それはね・・・」
「当然だよね。私、チュウボウの頃のその彼女、好きになりそう」
「何が言いたいのかよくわかんないけど。
今はとんでもないおばさんになってるかもしれないよ」
「わかんなくてもいいよ。今の彼女の事はどうでもよくない?
超・勇気が必要だった筈だよ。その時、メイ・ビィー」
「もしかして、あなたの事を忘れません、じゃないの?」
「全く、違うから」
「全否定な訳?」
「そうでもないんだけど」
「コーヒーも飲んだし、煙草も吸ったよな。行かない?」
「えっ?何?何処?行く?」
「花屋はここだけじゃねぇーんじゃねぇー?」
と僕はあてが無いのに立ち上がった。
彼女もアングリー・モードの様な表情の笑顔で腰をベンチから放した。
「その花言葉知りたいんだ?」
「うるせぇーな。時間無いぞっ」
「知ってるもん。そんな事」
「走るか?」
「あっ、言ってしまいましたね」
「ぁんだよ?」
「悪いんだけど私・夕海は高校女子400m・ハードルインターハイ出場経験あり」
「マジで?」
「嘘、市内選で敗退!!」
「わかったよ。行こうぜっ。めんどくせぇー奴だな」
「よく、言われる。あぁ、一寸待ってよ」
結局、彼女は「勿忘草」を手にする事は無かった。
季節の為である。
僕も再会出来なかったのである。
つまり、彼女の必殺の作戦は未遂だったのだ。
しかし、これはこれで良かったと僕は思っている。
僕はお守りであり、引率の年上である。
彼女の気持ちは解らない。
季節の作り上げた物はただただそこにいるだけなのだ。
その時分に。
そのおこぼれを僕らは授かるだけだ。
彼女も彼女なりに「ムチャしてるのかしら?」
とは、思っている様であった。
儀の為の花束は無事に購入出来た。
ベンチから離れ取りあえず最寄りのJRの駅まで歩いて反対側の東口に出た。
歩いていればお店は見つかるだろうと。
二つのお店を覗いてからあきらめたのだった。
社に戻ると言った彼女と僕は途中まで並んで歩いた。
夜の闇が街を柔らかく抱きかかえ始めている。
彼女はダウンモードの様で口数が少なくなっていた。
僕に何かを話しかけなければ悪いと思ったのだろうか?
彼女は「不倫とかを想像してない?」
と僕に問いかけた。
僕は「それが、まっ、一番早くて解りやすいイージーな想像だよな」と答えた。
彼女は何も言葉を口にしないで黙っていて一呼吸おいてからそっぽを向いた。
「話したいんだったら話せよ。話したくなかったら話さなくていい」
「だから何も言いたくない。勝手にわけの解らない所でわけの解らない想像されるのが嫌」
「俺は何も言ってない」
「怒って無いよ。私」
「俺もだよ。とぉーぜん。だけどそれを止めんのは無理だよ」
「知ってる。無理を通したいお年頃なんです。私は今」
「俺は君の方の理由は別にいいよ。俺は花言葉だけを知りたい」
「どぉーしようかなぁー?」
「どうして?」
「だって私がその花言葉を今、言っちゃうのは簡単なんだもん。
ちっちゃかった彼女の思いを私が勝手にあなたに最初に口には出来ない様な気がするの。
だってそうじゃん?そんなの嫌じゃない?
彼女の事を私が知ってたら言えるよ。
それに付き合ってくれたでしょ。今日。
ヒマだったかもしれないけど。
感謝でかいよ。
だから、私は彼女が贈った言葉を簡単に口にしたくないな。
自分で調べてよ。
とんでもないオバサンに今、彼女は、成ってるかもしれないけど。
でもさ、その彼女がその時に選んだ言葉だよ。
今の世の中便利じゃん。キーボードを叩けばすぐ出てくるよ。そんくらいのこと。
その位の事をしてあげてよ。
これは私からのお願いかも。
すっげぇー前の話なのは知ってるよ。私だって」
「なんで夕海がのりこの味方してるわけ?」
「プチ意地悪して良い?のりこって誰よ?」
「あっ、ミスった」
「のりこちゃんからのプレゼントだったんだね。チュウボウの頃」
「そうだ」
あの遠い昔の夕方に僕がもう少し早くお家に帰って
のりこちゃんから直接お花を手渡されたら僕はどうしたのだろう?
僕はその様なシチュエーションの免疫が無いので
キョドル以外なす術が無かっただろう。
もしかしたら照れの余りに酷い言葉で彼女を傷付けてしまったかもしれない。
のりこちゃんにしてもその時、彼女から直接その花言葉を
僕の耳に届く音にして貰えたのかは解らない。
僕の母がお家にいて母が相手だったからこそのりこちゃんは言えたのかもしれない。
口を開き音に出来ないからこそ花言葉なのだろう。
夕海君と別れ、自宅に帰りPCを立ち上げ、パタパタとキーボードを叩いた。
その花言葉はすぐに知る事が出来た。
「あなたを忘れません」とは言うまでも無く微妙なニュアンスの違いがあった。
「私を忘れないで」
が花言葉であった。
花言葉は知らなかったが僕はのり子ちゃんの事は忘れていなかった。
忘れる事は無い。