油揚げ

5、6歳のころ、僕が担当のお使いがあった。
その「お使い」は当然、大層な事ではなくて
「油揚げ」を買って来る事だった。
日曜日の朝が多かったと思う。
家長の父からの指令だった。

僕のお家から歩いて2,3分の所に「お豆腐屋さん」が
有ったからなのである。今から40年程も前の事である。
昭和44年前後の年の頃だ。

その当時、青いトラックにおからが
カバーもされずに積まれていて
道路を走っているのをたまに見かけていた。

既に他界している父は台所に立つ事が苦にならない人だった。
むしろ、好きだったと思う。
昭和ひとけたの前半の生まれの男の人と捉えて
考えればそれなりに希少価値のある男の人であるかもしれない。

しかしながら、父はその類の
「振り分け」は好きでは無かっただろう。
「世代」や「時代」や「国籍」のまとめ方は
それなりに解り易いし、有効である、と思う。
実際の所もそんなには掛け離れてはいないので

「嘘」

ついて居るとは、言えないであろう。
ただその近辺で「まとめられる事」を
父にとってはあんまり気分が良くなかった筈である。

多分。

「頑固」とか「偏屈」とか「こだわり」とか
「意地っ張り」とか「意気地」とか「硬骨」などと
持ち上げられても、揶揄されても「嫌だった」と思う。
ただ、ただ、そうする事が楽しかったのだろう。
まぁ、くすぐられれば、
ぜぇーんぶを出し惜しみする事無く、サービスをしてしまう様な
人だった。

この事柄は、
自分の手に届いた「ブツ」をネタに
家族に提供していた「食べ物」に関してのみである。

今年の梅雨の初めに僕が利用している駅の方の
「お豆腐屋さん」がリ・ニューアル・オープンした。

ずいぶんと以前からこの地域で営業していたらしい。
お店での販売は無く、市場やスーパーに出荷していた様だ。
オープンしたそのお店は充分に洒落たデザインの
外観と店内でモダンなナウないま風の造りであるはずだろう。
店頭販売も新しい試みである様だ。
裏の方に作業場が有った気がする。

目を魅かれ御伺いした。
「豆乳のソフトクリーム」とか
「おからのショコラ・ドーナツ」とか
「豆腐ベースの季節野菜のムース」などもあった。
無論、「お豆腐」も「油揚げ」も
真新しいショー・ケースに並べられていた。
結局、胡麻豆腐を一丁買って店を出た。

お豆腐屋さんの朝は早そうだ。
でも、僕がその昔「お使い」に行った時には
まだ油揚げは、出来てはいなかった。
僕が注文してから水の中から一丁の豆腐を掬いあげ
木目の入った大きなまな板に乗せて右から包丁を進ませて
五枚くらいの程よい厚さにしてからまっくろな油の中に
滑らせていたのだ。
そぉーすると「油揚げ」が出来上がるのである。

お豆腐屋のおじさんは大きな菜箸で何度か裏返したり
つっついたりしながらその薄くなったお豆腐が
油揚げになる瞬間を見つめていた。
油が落ち切るのを待ってからもまだまだ熱いそれを
抱えては僕家に帰った。

戻ると「油揚げ待ち」の我が家の朝食が始まる。
我が家ではまだまだ温かいこれを網焼きにしていた。
少し、焼き色が付いたところで
大根おろし、おろし生姜、長葱、茗荷を
からませて醤油をかけて頂くのだ。
薬味と油と大豆の味が程よく混ざり口の中に広がる。
炊きたてのごはんとの相性もすこぶる良いのだ。

父はそこの「お豆腐屋さん」がその時間帯には
注文が入ってから揚げ始めるのを
多分、知っていたのだろう。

膝の上のひんやりとした胡麻豆腐があった。
夕闇の中を進むバスの中でちっちゃい頃に
お使いに行かされた事を思い出した。
あのお豆腐屋さんも代替わりして今風の造りになって
並んでいる商品も様変わりしているのだろうか?

あの頃以来、「揚げたての油揚げ」を僕は食べてはいない。