アトミック・カフェ

アトミック・カフェ [DVD]All Rights Reserved.

ケビン・ラファテイ監督(ジェーン・ローダー、ビアース・ラファティ共同?)の
1982年度のアメリカ映画である。

20歳を過ぎた辺りにNHKの教育テレビで観た、と、記憶している。
85,6年の頃だと思う。

当時の僕は「核」の脅威に怯え「引きこもり」寸前だった。
銀行に預けていた13万5976円を全額おろして
親戚の鉄工所のオヤジさんに
「シェルター」
を造って頂こうと思ってオヤジさんの作業場に行った。

「焼き鳥」(つくね2本、ネギマ2本、皮2本、レバー2本)を
「手土産」みたいな「ご機嫌伺い」みたいな所で持参した。
ちなみにすべて焼き鳥は「タレ」では無く「塩」である。
これはオヤジさんの好みだ。

僕も基本的には「塩」ではあるが
「つくね」だけは「タレ」が好きだ。
そのまんまでも良いのだけれども
黄身を塗りたくって食べるのが、これまた、美味しいのだ。

しかし、こういう時は「敬意」を払わなければならない。
因って、「つくね」も「塩」となったのである。
こういう事でオヤジさんも僕を
「クライアント」として扱ってくれると信じていた。

まだ、十二分に熱い「焼き鳥」を「オヤジさん」に
「どうぞ」と差し上げると
「何だ?ビールとか酒とか焼酎は?」
と、言われ僕が「それは無いです」と言うと
「全く、気の利かねぇー奴だな。相変わらず」
と言われた。

オヤジさんは無造作にお尻のポケットから5千円札を1枚取り出し、
「取り合えず、ビールと日本酒。それから焼き鳥もな。
これじゃー足りないだろ。もう少し買って来いよ」
と、言った。

僕はお札を受け取りながら
「大事な話が有るんですけど・・・」と言うと
「早く、買って来い。話はそれからだ」
と頭をハタかれ
「ダッシュだぞっ」と念を押された。

僕はこのまま「逃亡」しようかな?とも思ったが
「シェルター」
を造って貰わないと夜も眠れないので
ダッシュで作業場を後にした。

リクエストされた物を購入して戻ると、先ほど僕が持参した
「焼き鳥」を
「チン」して暖め直して頂いていて、二人で食べ始めた。
少し飲んで食べてコバラが落ち着いた所で
僕が「シェルター」を造って欲しい事を告げると
「何だ、そりゃ?」とか言った。

僕が得意気に解説し始めると僕の喋る事を全く聞きもせずに
「そう言えば駅の東口の方にそんな名前のスナックが在ったぞ。
小さな店だけど女の子がみーんな可愛いかったな。
特に、「ゆかりちゃん」だ。今から、行くか?
お前の好みの女の子も絶対にいる。保障するよ」
と、言った。

僕も「マジっすっか?」と、「素」で反応してしまった。
僕の「核の脅威」は「可愛い女の子」に粉砕されたのだ。
速効で「オヤジさん」がオメカシをしてタクシーを呼び店に行った。
必要以上にパフュームの匂いが車内を占領していた。
オヤジさんを前にして店の扉を開け、入って行く途中に
お店の看板を見ると「シェルター」ではなく、「シェルパ」だった。

「今晩はこいつの奢りだぁー」

と、いう、オヤジさんの気合いの入った一声で
現在の僕くらいの
年齢のオネエサンの方々に両腕を掴まれ
「御馳走さま。何、飲むの?私もいただいちゃおー」
と口ぐちに言われ、銀行からおろした全額は一晩で消えた。
自分の「アホさ加減」にほとほと呆れ果てた。

しかしながらその晩は凄く良く「睡眠」が取れた。
当然ながら「当時の僕は・・・」からのくだりは

大嘘である。

記憶が曖昧だと真剣にマジで心底
「申し分けが立たない」ので
ALLCINEMA(MOVIE&DVD DATABASE)
「THE ATOMIC CAFÉ」
の「解説」を引用、援用させて頂きます。
原文、そのまんまです。

《解説》

米ソ原爆製造が盛んに競われていた40年代後半から50年代に、
アメリカ政府が国民用に製作した原爆PRフィルムやニュ-スフィルムを
再編集したドキュメンタリー作品。

収録されている当時の映像には、放射能に関する大嘘や捏造された報道が
溢れており、米政府が行った大衆操作の恐怖を物語る。
そのナンセンスぶりは今にしてみれば大笑いものなのだが、
声高に核の危険を訴えるのではなく、
こうした事実のみで構成したその着眼点がユニークだ。

「何でこの作品を今更?」
と、自問してみれば
「インディ・ジョーンズ クリスタル・スカル王国(08)」を
「先日、観たからなんだろうな・・・」
と、思う。