MY GRANDMOTHER

雷の音が嫌いでは無い。

物凄いドシャ降りの中でも

どんなに「けたたましい音」でも聞いていたい

と、思う時がある。

好きなのだと思う。あの音が。実は。

先日、近所のラーメン屋さんで生ビールを飲みながら

「少年とアフリカ 音楽と物語、いのちと暴力をめぐる対話」(01・文芸春秋社)

という坂本龍一氏と天童荒太氏の対談の形式の本を読んでいた。

調度、坂本龍一氏が「大脱走(63)」を観てからのエピソードのくだりの所で

僕は思わず、吹き出してしまい「まずいっ」と、思って回りを伺った。

お店のオヤジさんが何となく「?」みたいな顔をしてはいたがカウンターの

お客さんから元気よく「餃子」と調度、注文されてさして気にはしなかった様だ。

「夕方からにわか雨と供に雷が鳴るでしょう」という予報通りに

何時の間にか雨音が大きくなり遠くの雷の音が小さく聞こえて来ていた。

その日は、お家には僕とおばあちゃんの二人きりだった。

4歳の頃の事で日曜日だった。

どうしてその休みの日にお家に父と母と兄が居なかったのか?は

忘れている。

お昼近くになっておばあちゃんが

「あらっ、パンがなかったわね」とつぶやいた。

サラダとかチーズとかハムとかは冷蔵庫に母が用意してくれて

いたのだけれども「パン」が無かったのである。

「全く、あの嫁は・・・」みたいな事は一切口にせずに

「どうしようかね?」と僕に言った。

その当時の僕のお家の近くには小さな食料品店があった。

歩いても5分もかからなかった。

現在はコンビニに代わっているだろう。

僕は「買って来るよ」と言った。

おばあちゃんは「そうする?」と言って

窓の外に目をやった。

灰色の雲の表情で雷の音も小さく聞こえていた。

「でも、雨が降りそうよ」とひとり言の様に言った。

「大丈夫だよ」と僕が言っておばあちゃんから

100円玉をふたつ貰ってポケットには入れずに

手に握り締めながら玄関を飛び出した。

雨がぽつぽつと落ちて来ていた。

雷の音もお家の中で聞いていた時より

大きな感じがした。

2秒ほどで「大丈夫」なんて言わなきゃ

良かったと思った。

当然ながら自然と足が速く動いていて駆け足になっていた。

無事に「食パン」を購入して帰って来てランチタイムとなった。

帰ってくる途中で一回大きな音がして空を睨みつけたが

そんな事はパンにチーズとハムとレタスを重ねてマヨネーズ

を塗って「がぶっ」とやればすぐに忘れられる。

夕飯が始まりそうなタイミングの中、

おばあちゃんが父、母、兄を相手に

「この子は今日、雷と雨の中

わざわざ食パンを買いに行ってくれた。

とても偉かった。おばあちゃんは助かった」

みたいな事を大演説してくれた。

僕は少し恥ずかしかった様な気がする。

僕がおばあちゃんを「やってくれるな」と思ったのは

僕が体験した雨の勢いと雷の音を話しぶりからすると

3倍位に大きくしていた事である。

食パンを買ってお家に戻って玄関の扉を

開けた時、おばあちゃんが立って待っていてくれて

「にこっ」としてくれた。

この様な記憶は些とやそっとじゃ消えない。

消える訳が無いのである。

「雷の音」も忘れた頃にちゃんと鳴ってくれるのだ。