クローバー・フィールド

ドリュー・ゴダードオリジナル脚本・マッド・リーブス監督の

2001年度ではなく、2007年度のアメリカ映画である。

このお二人が関わった過去の作品を僕は全く触れてはいないと思う。

御出演の男優さんも女優さんも

僕が今までに拝見した事の無い方々ばかりである。

あくまでもフィクションであり、

ノンフィクションでもドキュメンタリーでも、無い。

映画が始まってから30分ほどした辺りで僕は退屈と目の疲労で

「早く終わんねぇーのかな」とアングリー・モードで感じていた。

ストーリーは広がらないし転がりもしないのだ。

画面は揺れるし、暗いし、フォーカスも合っていないし

構図も構図と呼ばれるには酷過ぎるのである。

それが「臨場感としての一つの狙い所」であろうと言う事は僕でさえ

分かるのだが、それにしても耐えられなかった。

とにかく「鑑賞させるという事を、どう考えてんだよ!!」

と、思いっきり大声でシャウトしたかった。

この作品に関しての映倫管理委員会の

「Parental Guidance-12」の指導を僕は正しいと思う。

それからパラマウント・ピクチャーズ・ジャパンの

「警告」も親切である。

それでも鑑賞したい人々がペイしてシートに腰を降ろすのである。

納得した筈の僕でも事実、マジで、気持ちが悪くなっていた。

本当に滅多に在る事では無いが「棄権しようかな」

とさえ感じていた。

85分の作品で時間だけを考えると、とても短い。

これがもう、10分程長ければ僕は絶対退場していたと思う。

でも、この作品自体の重たさを感じ取ればベストの上映時間である。

この作品の物語を展開させ切り、お付き合いして貰える

時間の限界と必用な時間を製作者達は適確に把握していると僕は思う。

「アンダー・グラウンド」と言う村上春樹さんのノンフィクションの作品がある。

1997年の3月に刊行されていたのでだいたい

10年くらい前に僕は読んだ筈である。

詳細は記憶には殆んど無いではあるのだが、

「何でこの一般の人々がこんな目に遭わなければならなかったのだろうか?」

と言う思いは未だに僕の気持ちの中に確かに在る。

作者自身が1995年3月20日の地下鉄サリン事件の被害者と

その関係者をインタビューして書き下ろした物だ。

構成も凄く分かり易く書物としてこの事件を捉え、

何も知りはしない僕にもその様子が伝わって来た事は確かである。

圧倒的な取材量なので一気に読み倒すという事はできなかった。

僕はその当時、作者はどなたでも構わずに一連のオウム事件の

全体像を俯瞰的に捉えているガイダンスの様な本を読みたいと思っていた。

それで、その以前から触れていた村上氏がこれらの事件の一つを

ノンフィクションで書くと言う事で速攻で購入したのだった。

少しずつ記憶が起き上がって来た。

この作品が僕にとってとても潔く、清潔で好ましく感じられたのは

全体像を俯瞰的に捉えていない所にあるのでは?と現在になって思う。

視点と語り口が一貫していてぶれていなかったし、その日の事件以外の枝葉を

丁寧に取り除いている様に僕には感じられた。

話を戻そう。

映画がやっとこさ終わってくれてまさに拷問にも等しい時間から開放された。

何となく「警告どおり」に車酔いに近い状態だった

僕は気分を変えようと春物の明るい色のお洋服でも見に行こうと

ユニクロに行く為にエレベーターのボタンを押した。

エレベーターに乗り込むこの時に何故か

「ワールドトレードセンター(06)」と言う映画の

幾つかのシーンが頭の中で弾けた。

エレベーターの扉が閉まりスーッと下に降り始めた瞬間に

僕の体が一瞬冷たくなり少し震えて来た。

体が下に降りて行くのに合わせて得体の知れない何かが

足元から僕の体の皮膚の表面を昇って来ている錯覚に捕らわれていた。

とても怖い瞬間だった。

さっきまでの車酔いの様な物が全て消えていた。

製作者陣は全てを仕掛けていたのだと思った。

消防士でもソルジャーでもなく、彼らは救助される側の人間だ。

装備などしていない普段着の一般の人々があの事件の渦中に

居たのである。

もし、僕がそこに放り込まれたとしたら・・・。

車酔いどころでは無い筈だ。

音や振動も映画館の椅子で感じられる物では比較にはならない。

煙と灰と砂塵とで目さえ開ける事すら出来なかった筈だ。

少し落ち着いたとして目を開ける事が出来たとしても

視界の焦点を合わせるのは困難だったろう。

ましてや何処に自分の眼差しを一体どこに向けたら良いのか

考える事すら出来なかっただろう。

そして一体何が起こったかえさえ理解出来ないまま・・・。

彼らは退場も棄権も選択肢としては無かった。