デス・プルーフinグラインドハウス

クエンティン・タランティーノ監督の最新作である。

 

昨年の9月に公開された作品ですが僕はレンタルが始まってからのDVD鑑賞でありました。

僕が頂けないエグいシーンも有りましたが「奴」をパワフルに懲らしめてやる

彼女達は良かったです。

 

今回は前回の続きです・・・。

 

「バニシング・イン・60(74)」をテレビで観たのは何時の頃だったのだろうか?

(原題は「Gone in 60 Seconds」)

 

「デス・プルーフ」の劇中で彼女達の会話にもこの映画は登場していた。

 

 

何とか映画劇場だったか何とかロードショウだったかも不明である。

チャンネルを覚えていないという事だ。

でも何となく東京12チャンネルの頃の「木曜洋画劇場」だった様な気がする。


 

 

間違っているかもしれないがその根拠は「エマニエル夫人(74)」を

地上波初登場させた偉大な枠であるからだ。


 

当時の僕にとってはよくは解らないタイプまたは少しHな感じの映画の

テレビ放映はここの枠にお任せしておいた気がする。

 

ジャン・カルロジャンニーニ主演・リナ・ウェルトミューラー監督の

「流されて(伊・74)」とかダスティン・ホフマン、ジョン・ヴォイド共演の

ジョン・シュレシュンジャー監督の「真夜中のカーボーイ(米・69)」もこの枠で観た気がするのだ。

 

 

 

「バニシング・イン・60」は75年度の日本公開作品であるから

テレビ放映されたのは早くとも76年以降だと思う。

 

そうすると僕が小学校の6年生か中学校の1年生の頃だ。

この当時は解り易いジャンル分けとして「カーアクション映画」と呼ばれていた作品達に夢中だった。

アメ車やヨ―ロッパの車が飛んだり跳ねたりでんぐり返しをしたり

片輪の二つのタイヤだけで走行したりするのがその当時、僕は楽しくて楽しくて仕方なかったのだ。

 

この流れで同じ様な匂いのする「激走!5000キロ」を観に行ったのだと思う。

 

しかし、彼女達の会話の中には前回の僕が好きな「激走!5000キロ」は残念ながら登場してはなかった。

 

 

タランティーノ監督の作品に関して僕は、どぉーしても

自分の11,2歳から14、5歳の頃の様々な生活の記憶を呼び起こされてしまう。

何故だか解らない。

勿論、映画に関する事柄が多いのだが。

 

 


 

76,7年の11,2歳の頃の僕の一番のご馳走はミート・ソーススパゲティの

上にメンチカツが乗った物だった。

 

「パスタ」などと言う言葉も「稲庭饂飩」とか「ソーキそば」とか「茶そば」とか

「揖保乃糸」などの存在すら知らなかった頃である。

 

この単独でも勝負出来る彼らがタッグを組み一度に口に納まるのである。

このミラクルが許されて良いのか?と思った。

こんな贅沢をしてバチが当たったら如何しようか?とさえ感じた。

非・日常の体験であり、スペシャルな外食に於いてである。

ファミレスが登場する以前の洋食屋さんのメニューの一つであったと思う。

 

 

記憶が鮮明ではないが「激走!5000キロ」で主役のライバルで

「いけ好かない」女好きのイタリア人に扮していた方がいた。

劇中、調子に乗ってカァンツォーネをかましてくれていた様な気もする。


 

「憎たらしいけどこのオッサン笑わせてくれるぜっ」とガキの僕が素直に思った。

勿論、名前など知る筈が無い。


 

10年後位の86年に「蜘蛛女のキス」を観た。

作品自体も素晴らしく、大好きである。

ヘクトール・バベンコ監督の米・ブラジル合作の作品である。

この作品でウィリアム・ハートの独房の相棒で反体制の闘士に

扮していた方がこの故・ラウル・ジュリアであった。

ビックリした。

こんなに凄い人だったのか・・・。である。

 

「デス・プルーフ」の劇中どこの部屋の壁だったかは忘れたけれども

「ソルジャー・ブルー」(米・70)のポスターが掛かっていた。

今度、オフの日にでも未見なので観てみたいと思う。