地獄の黙示録

地獄の黙示録6年程前に叩いた物です。2001年晩秋「地獄の黙示録・特別完全版」が来年の1月の下旬にロードショウされるというニュースが飛び込んできた。60分弱の未公開シーンが加えられ再編集されたそうである。「うーん・・・。そうなのかぁー」と思わず唸ってしまった。

 

大変に大袈裟に聞こえるかもしれないが映画を観賞するのに体力とかメンタルなコンディションなどを強く意識させられたのはこの映画が最初であった。この「うーん・・・。そうなのかぁー」はつまり体調を整えベストな状況で観ないとな、という事である。元気の無い時はなかなか最後まで観られない時があるのだ。この作品は。

 

この映画が最初に公開されたのは1980年の初夏だったと記憶している。作品自体は79年度の作品でその年のフランス・カンヌの映画祭でグランプリを受賞したのだった。僕は高校生の一年生だった。16歳の頃である。ロードショウされてから間も無く、一学期の期末テストを退治してから日比谷の有楽座に観に行った。

 

もう、20年以上も前の事になってしまう。僕の高校は日大の付属で有楽町線の護国寺にあった。自宅が所沢だったので池袋を経由して通っていた。映画が好きだった僕にしてみれば様々な所にある映画館へのアクセスは本当に便利だった。その代りに朝のラッシュにはかなり閉口していた。

 

この頃の映画館の入場料はロードショウで1500円だったと記憶している。高校生みれば決して安いとは言えないと思う。だからロードショウの作品を一本選んで観に行くとなると自然と力が入ってしまう。止めておけばいいのに色々と下調べをしてしまうのだ。

 

たまにネタばらしの記事まで読んでしまう事もあるし、テレビの紹介にしてもクライマックスのシーンまで一生懸命観てしまうのだ。これははっきり言って感激度を極端に減らしてしまう事になる。それにしてもこの露出量に対抗する術は一切観ない、読まない以外は無いと思う。ただこの作品に関しては全てに於いて想像以上であった。

 

それから入場料も少し上がって前売り券の値段が当日券の値段になっていた。本棚の奥の方から当時のパンフレットを引っ張りだして来た。驚いた事にチケットの半券がはさんであった。薄いグリーンでマーロン・ブランドとマーティン・シーンの顔のアップが印刷されていた。当日券の完全入れ替え制のチケットで3月11日(火)11時50分開映と記されていた。

 

この完全入れ替え制というのも当時は一部の映画館を除いて少なかったはずである。記憶はかなり違っていた。映画の舞台となる場所と作品の熱気で夏の頃と勘違いしていたのであろうか?一年生の三学期の期末テストの後だったのだ。

 

以前に沖縄の那覇から船で1時間ほどの渡嘉敷島という離島にダイビングに行った。船で港に着くと宿は港から山を越えてバスで20分位の所だった。バスに乗り込み回りの景色を見ているとディ・ジャ・ブではないのだが不思議と「あれっ?こんな風景何時か見た事あるぞ」と思った。

 

しばらく考えていてヘリが視界の中の山陰から垂直に浮上して来る様な予感に包まれた。その予感の根拠は多分緑という色の濃さである。思い出した風景の破片はコッポラのこの映画のあるシーンである。沖縄県は日本なのだけれど地理的に考えると随分と僕の育った関東辺りからは遠い。関東辺りの緑とこの辺りの緑は濃度が違うのだ。南の熱帯の地域なんだなと改めて思った瞬間であった。

 

ちなみに映画の撮影のロケ地はベトナムではなくフィリピンのパグサンハンPagsanjan (pronounced ‘Pag-sang-han’)という所だったらしい。

 

中学生の時に「ゴッド・ファーザー」とその「パート1」をテレビで観た。12、3才の子供が観たのだから理解していたとは思えないのだけれども、とにかく眠たくもならず、全く飽きずに見入ってしまったのだ。家族というものを考えさせられたというのは優等生すぎるのでは?と思うが事実だ。面白かったとしか言い様がなかった。

 

この興奮が体の中に残っている時に「地獄の黙示録」の製作発表があり、その後も経過が雑誌やテレビを賑わしていた。内容の中心は莫大な予算と撮影日数の大幅な超過だったと思う。パンフレットには1200万ドルの予算が3100万に、120日の撮影予定日数が540日と膨れ上がったと記してあった。これは正直凄い事ではないのだろうか?

 

はっきりとした本当の所はわからないのだけれど、公開の前後も様々なお金に関する話が飛び交っていた。「コッポラは破産して家まで抵当に入っている」とか「公開後の収入もほとんど制作費に回るらしい」などなどである。そして一体何に予算を吸い尽くされたのか?主演俳優の交代劇、変わった新しい俳優の心臓発作、セットが台風による全壊などなど。色々思い出してみると作品自体よりもその周辺の話題が多かった様な気がする。

 

所で映画の翻訳家になりたいと思う人は実は凄く多いと思う。斯く言う僕も英語が苦手にも関わらず漠然と憧れた瞬間があった。2,3日程ですぐにあきらたけれども。何たって好きな映画を観るのが仕事なのだ。勿論、事はそんなに簡単でもないし、甘くもない。

 

戸田奈津子さんの名前を何時の頃からか見かける様になった。それまでは清水さん、高瀬さん、菊池さんなどの名前をよく目にしていた。戸田さんの翻訳デビュー作品は何とこの「地獄の黙示録」だったそうである。思い出してみれば中学高校時代は以上の三名の名前が多かった。高校生の後半から大学生の頃はほとんど戸田さんだった様な気がする。

 

NHKのある番組で戸田さんがゲスト出演していてその当時の事について話をされていてとても面白かった。翻訳に推薦してくれたのは監督のフランシス・フォード・コッポラ本人、その人だったそうである。映画会社の仕事でロケ地のフィリピンやサンフランシスコに出掛けていてコッポラとも面識があり様子も分かるであろうとの事での抜擢だったそうだ。完全版の上映にあたり再びこの作品に取り組めた事はとても懐かしく感慨深そうだった。

 

最近は古田さんという名前をよく見かけるようになった。下の名前は忘れてしまったけれどこの方も女性である。今まで一体何回この「地獄の黙示録」を観たのだろうか?少なくとも劇場で2回、ビデオでは5回は観ていると思う。別に何回観ても関係ないのだが。決して楽しいとか、心が洗われるとは程遠い。

 

例えば「スタンド・バイ・ミー」(86)であればクリスの顔がまた観たいなとかキャッスル・ロックという町の夏の風景というようにお目当てがはっきりしていると思う。この作品を何回も観るお目当てとは何なんだろうか?自分でも分からない。とても難解で意味不明の部分も僕にはあるし、未だに消化不良の状態だと思う。ただただ作品がそこに大きく横たわっているとしか言えない。

 

「スタンド・バイ・ミー」と「地獄の黙示録」を並べる事もどうかな?とも思うのだが。好きなのか嫌いなのかも分からない時もある。現在、テレビのスポットであのヘリコプターのシーンが流れているのを観ると不思議な感じがする。どうしてもお茶の間に入りこんで来る代物では無い様な気がするのだ。

 

以前の公開時にもテレビでコマーシャルはやっていたと思う。その時は特に感じる物はなかったと思う。この違いは何なのだろうか?作品を見ていて内容を知っているという事だけでは無いと思う。僕はこの辺りにこの作品の持つ特異性の様な物を感じる。

 

時代がこの作品に追いついた、と言う様な言い回しは僕にはよく分からない。20年という年月が高校生だった僕にも確かに経過した。大人となり多少世の中の事も知ったからとして理解や解釈ができる物なのだろうか?あまり意味は無い様な気もする。「完全版」を観て来たらまた感じる事も変わって来るかもしれないけれども。

ただ内容的にはすごく分かり易くなっているとの評判だ。

 

wikipedia.org 地獄の黙示録

 

沖縄で頂いた「そーきソバ」と「ふー入りチャー」を食べたくなりました。