JAWS

ジョーズ 30th アニバーサリースペシャル・エディション大学の3年生の春休みに北米大陸の方を旅行して来た。

正真正銘の貧乏旅行で宿泊先もYMCAとかユースホステルなどが殆どだった。移動の手段もグレイハウンドという会社のバスだった。宿泊代を浮かせる為にバスでの移動時間を夜中にしてシートが寝床となった夜も少なからずあった。バッグの中にはマヨネーズやマスタードが食べかけのバケットを押しつぶして入っていた。しかしながらこの時は特に悲壮感などはなかったし、意識さえもしなかった。若さというやっかいな奴も時には有効な時もあるようだ。 1985年の2月から3月にかけての40日間程のロングトリップだったのだ。大陸横断が僕の目的であった。43歳となった現在では何をそんなに気合を入れてたのよ?と自問したい気持ちで一杯である。ハードな日程の中でも特にくつろげたなぁと思えた場所は晩年ヘミングウェイが過ごしたと言われているフロリダの先っぽのキ-ウエストだった。

ロサンゼルスから入り、サンフランシスコからシアトルへと回りカナダのバンクーバー、カルガリーまで足を伸ばした。西海岸の辺りではとても温暖で過ごしやすかった。しかし冬のカナダには正直参った。僕は山より海の方が好きだし、冬より夏の方が肌に合う。出来たらTシャツと短パンで一年を過ごしたい。旅行の日程も後半に入っていて大分疲れも溜まっていたのだろう。バスを降りた時は「楽園だぁー。浦島太郎でも構わない」と心の中で叫んだ。中でもメキシコ湾でのスキンダイビングは最高だった。今まで見た事の無い色の海だった。セルリアンブルーという色だろうか?カクテルのブルーハワイを思い出した。ブルーにグリーンが溶けこんでいる様だった。7ドルか8ドルでマスクにシュノーケル、ライフジャケット、そしてフィンを貸してくれて沖合いの浅瀬のポイントまでクルーザーで連れて行ってくれた。このポイントには名前は分からなかったのだが様々な熱帯の極彩色のお魚さん達が餌付けされていた。

クルーザーに乗り込む前と港に戻る前にインストラクターらしき人が学校の先生の様に出席を取っていた。海に置いてけぼりにしない為だろうと思う。実を言うと僕はこの時ドキドキしていた。自分がローマ字で書いた名前をどの様に発音するのだろうか?読めるのだろうか?また発音できたとして僕のヒヤリングの能力で聞き取れるのだろうか?という問題の為だ。回りを見ていると「ハーイ」とか「イエス」などと何事も無い様にお気楽に受け答えしていた。僕は「このぉー」と思ったのだが母国語なのだから当たり前である。逆恨み以外の何物でもないのだ。「もとしゅかぁー」と疑問を投げかける様に自分の名前が呼ばれた。僕が北米大陸を旅していて感じた事の一つに彼らは日本語の『け』という音の発音があまり得意ではないのではではという事があった。この時にそれを再認識した。

ひらがなで書いてはいるが発音された以上英語である。平仮名など知る筈もないのだ。僕はそれまでに口の中で何千回となく念仏の様にブツブツと唱えていた「イエス」を全体力と全神経を集中してツバこそ飛ばさなかった物の気合を入れて返事した。口と喉はからからに渇いていた。オマケに彼らがする様に軽く利き腕を上げて。無事に次の人の名前が呼ばれた時は何故か僕は釈放された様な気分になった。夜に寝床に入り僕は反省した。もしかしたら俺は非国民ではないのだろうか?日本男児ならば「はいっ」と最後の吃音が聞こえる位の大きな声で返事した方がよかったのではなかろうか?「ハーイ」だの「イエス」などという間の抜けた音で己の意思など伝わる筈がなかろう?一体お主は何と心得るのかっ。オマケにお主ときたら舶来物にかぶれたように手まで上げおって父上が知ったらさぞお嘆きなさるに違いない。所でなぜここで拙者は時代劇の口調になっているのであろう?寝床に入ってからの話は全部嘘である。

小学校の6年生の春休みつまり中学校の入学式を控えた3月のある日曜日に僕は父と「ジョーズ」を観に行った。多分卒業祝いのような物だったと思う。場所は新宿のミラノ座だった。早朝の一回目の上映にも関わらず8割程、席は埋まっていたと思う。アメリカでの大ヒットで前評判も高かったのだ。「ジョーズ」を観ていない人でも重低音で始まるあのテーマ曲は一度は聞いた事があるだろう。あのテーマ曲だけでも忍び寄って来る鮫を連想させる事ができる凄いテーマ曲だ。映画が始まった。船酔いこそしなかったが何時の間にか僕は3人と供に四方を海に囲まれた船の上にいた。父はこの時に確かに隣に座っていて鼾もかいていなかったが僕と同じ様に船の上に居たのかは定かではなかった。

話が飛ぶが高校生の時「魚影の群れ」を観た。今は亡き相米慎二監督の作品だ。小学生のこの頃に観ていたら確実に船酔いしていたと思う。紛れも無い傑作だ。僕の大好きな作品の一つである。「ジョーズ」があれ程ヒットしたのだから「魚影の群れ」ももっともっとヒットしていても不思議では無いと僕は声を大にして言いたい。これは「魚影の群れ」が「ジョーズ」により面白いと言う事でもない。また、その逆でも決して無い。念の為。比べる必要など無いのだ。どちらも確かに海が写っていた事だけは共通していると思うのだ。

小学生の低学年の頃夏休みにはよく家族で豊島園に出掛けた。まだ「流れるプール」が珍しかった頃であり、波のプールもまだ出来ていなかったのではないのだろうか?ディズニーランドの登場するずっとずっと前の事である。メインはプールで目が痛くなり始めた午後にはプールから上がり遊園地の乗り物を楽しんだ。現在ではアトラクションと言うのだろう。流石のお婆ちゃんもこの企画には参加出来ずにお家でお留守番であった。その時は父方の姉とその家族も一緒に出掛けた。だいたい乗り物は二人が一組と成って乗り込む物が多かった。ジエットコ-スターを従姉妹のお姉さんと楽しんだ後に僕は父と二人でお化け屋敷に入った。初めは強がっていたのだがいつの間にか僕は父の手を無意識に強く握り締めていた。ハッキリ言うと怖かったのである。

家に帰り例に拠って宴会が始まった。僕は食事を終えた頃には目がとろんとして来た。父と叔母さんとその母、僕からするとお祖母ちゃんの三人はゆっくりとサントリーのダルマの水割りを飲んでいた。母と叔父さんは下戸であった。従姉妹のお姉さんは飲んだり飲まなかったりだった。まだまだウイスキィーの人気があり、舶来のお酒が幅を効かせていた昭和40年代の後半の頃である。大人達はご飯にはまだまだ時間がかかりそうな盛り上がりをみせていた。僕にしてみれば一日じゅう力一杯遊んで来たのだから眠たくなるのは考えてみれば当たり前の事である。子供の体力の加減に関して父と母は心得た物でである。「そろそろ寝なさい。みんなにおやすみなさいをして」と言う優しい言葉を鵜呑みにして僕は2階の寝床に入った。数年後に分かった事ではあるが大人達の楽しい時間はこれからなのだ。本当は。

喉の渇きとトイレでふと僕は目が覚めた。寝ぼけた状態でトイレに下に降りて行った時の事である。父はアルコールで弁舌滑らかとは程遠くただただ饒舌になっていて今日僕とお化け屋敷に入った時の事を酒の肴にしていた。「あの子ったらさぁ。最初は元気良かったんだけど。だんだん口利かなく成って来たんだよ。そしてお父さんの手をいつの間にか握ってたんだ」母、叔父ちゃんと叔母ちゃんそしてお姉さんまで大爆笑である。しかしお祖母ちゃんだけは何時もの様にこの種のネタの対しては大変デリケイトな反応をしていたと思う。山の高い所にある地元でも知っている人の少ない透明度の高い湖の初夏の風に吹かれてささやかに揺れている湖面の様な笑みを浮かべていた。長くて恐縮ではあるが僕はおばあちゃん子だったので仕方がないのである。

僕はトイレを我慢して自分の部屋にトンボ帰りである。それ以外には選択の余地はなかったのだ。当然ではあるが今ここでみんなのいる居間を通ってトイレに行く勇気を僕はこの時悔しいが持ち合わせてはいなかった。この一件以来僕は父との二人のお出かけは油断したらネタにされるという緊張感が芽生えた。この時の思いを胸に僕は靴のヒモをきりりと締めてから映画館に入った。しかし気を付けて居たにも関わらず僕はシートからズリ落ちそうになった。ビックリしてしまったのだ。言い訳というか僕だけじゃなかったという事はアピールしたい。この時は場内の他のお客さんもかなり驚いていたと思う。鮫がガバッと口を大きく開けて海面から頭をもたげるシーンであった。

ロイ・シャイダーがロバート・ショウに頭ごなしに餌を撒けと命令され嫌々やっている所だ。その前にも深夜沈没したクルーザーの船底から片目の死体の出て来た時も場内には叫び声が響いた。この時は僕は大丈夫だった。しかし、全く油断の出来ない映画であった。鮫の全姿をなかなか見せない所もニクイ演出だった。実はラッキーな事に僕が驚いた鮫顔面ガバッのシーンは父もシートからずり落ちる程ではなかったのだが一瞬体をビクンとさせていた。これで僕はネタにされないなという映画内容とは一里位かけ離れた訳の分からない理由で安堵に包まれ安心してスクリーンの中のストーリィーに没頭していった。そして終に鮫の全姿が明らかになった。ここも敢えて言うがこの登場させ方とタイミングは上手すぎであったと思う。ゆっくりと己の姿を誇示するかの様に船体の横を優雅にアイツが泳ぐのだ。観ている僕らはここで初めてアイツのでかさと挑発の様な意思を目の当たりするのだ。「やっつけてくれ」と誰もが感じていたと思う。

夜中それまで反目し合っていた3人がアルコールとロバート・ショウの語りで一瞬、一つに成った。しかし、クルーザーの船体付近からは不気味な軋んで捩れた音が聞こえてきていた。アイツが近くに居るのだ。現実に引き戻され、まだ事は解決していなかった事に気付くのだ。同じくスピルバーグ監督の「プライベート・ライアン」(98年)でもこの様な構成が有ったような気がする。主人公達がつかの間の安息の途中に切り裂く様に現実が眼前に広がるのである。

実はキーウエストのダイビングの時のクルーザーの船長がこの「ジョーズ」のロバート・ショウに激似だったのだ。頭の形、額の辺りの生え際と薄くなり掛けた髪の量、少し角張った頬骨、がっしりとした上半身などなど。ただずっと黒のサングラスをかけていたので瞳は見れなかったのだけれど。天気も良くて風も穏やかで絶好の海日和だった。遭難の心配などなかったのだが、何か有ってもこのクイントがいるから大丈夫だと思えた。映画のクイントよりは少し垢ぬけていたように感じられ白いポロシャツとネイビーブルーのショートパンツが凄く良く似合っていた。肌の焼け具合も綺麗だった。

ある雑誌に真偽のほどははっきりしないのだが興味深い記事が出ていた。「ジョーズ」の公開後監督のスティーブン・スピルバーグは映画で鮫を悪者に仕立ててしまった事に罪悪感を感じていたそうだ。しかし、一方ではこの映画のおかげでホオジロザメは保護され研究がさかんになり連中は感謝していたのかもしれない部分もあるのではというのだ。でも監督は自然の掟を破った様な気がしてならなかったという。海に入ると鮫達の間に「スピルバーグがいるぞ」というアナウンスが流れあらゆる鮫が猛スピードで突進して来るという悪夢に悩まされていたそうなのだ。スピルバーグ監督は良い人かもしれないと思った。

近所のたんぼに苗が植えられた。 これから秋の刈り取りまで一年の中でも最も緑の美しい季節が始まる。