アビエイター

アビエイター 通常版レオナルド・ディカプリオ主演マーティン・スコセッシ監督の2時間49分の超大作である。大富豪で実業家であり、映画監督、飛行家の顔を持つハワード・ヒューズの人生のある時代を描いた物だ。先月の26日に封切られた。1日に大宮のワーナーマイカルのシネコンで見て来た。窓口で料金を払う時まで知らなかったのだがこのワーナーマイカル・グループのシネコンでは毎月1日は大人が¥1000円で観る事が出来るのだ。何だか思いもよらないプレゼントを貰った気分だった。良い予感の出来事だ。

以前に知人に「ディカプリオの出世作って何なの?」と聞かれた。

知人はどうやら好きなバンドの好きな曲の歌詞の中で「ディカプリオの出世作を録画しておいたから」とい箇所が有り、気になっていた様である。僕は「過去の作品の全て」とディカプリオになったつもりで答えようと思ったがスベル事が100%予測出来たので当然辞めた。もう一つの選択としてはコーヒーやソフトドリンクを限りなく飲めるファミレスに連行してチェアに正座させてから30分程喋り倒そうかなとも思った。勿論これは自分が楽しいだけで知人には苦痛以外の何物でもない。一瞬の間に色々な作品が頭をかすめたが「ボーイズ・ライフ(93年)じゃないのかな。デ・ニーロと共演した物だったよ」とアタック・タッチ無く答えた。

ラッセ・ハルストレム監督の1993年の「ギルバート・グレイプ」というジョニー・デップ主演の作品かもとも思ったのだが僕的にはやはり「ボーイズ・ライフ」の方である。淋しがり屋の母を庇いながらも自分のこれからを見つめる少年の意志の小さな芽生えを静かに演じていたと僕は思う。大作とか感動巨編などと呼ばれる作品ではない。とてもとても地味な物である。でも僕にはとても柔らかい大切な物が届いたのだ。少年が自分と世間との間合いというか折り合いみたいな物を懸命に測っている姿にで、である。勇気と呼べばいいのだろうか?

今回の作品のディカプリオは良かった。劇場で「タイタニック」(97年)をちゃんと観たいと始めて思った。

当時の僕は観るタイミングを失って批評ばかりが耳に入って来ていた。こうなって来るとジェームズ・キャメロン監督には申し分けないが意欲が失せてしまう。自分では天邪鬼ではないと思っている。本当にタイミングの問題である。ただ、この惑星の映画の中で一番ヒットした訳だからあちこちでこの作品について語られても仕方がない。去年何処かのディカプリオのインタビューで「タイタニック」を断り同時期にオファーされていたP・Tアンダーソン監督の「ブギー・ナイツ」(98年)に出演すれば良かった・・・様な発言の記事を読んだ。どうやら「タイタニック」の大ヒットでイメージが固定されて作品選びが難しくなっての事の様である。僕はこれを「今だから発言」だと思った。でも、嬉しかったのは事実だ。僕もこの作品が大好きだからだ。贅沢な希望ではあるがディカプリオ版の「ブギー・ナイツ」も観てみたい。

マーク・ウォルバーグが演じた物も勿論良いのだ。それからクリスチャン・ベールが演じたブレット・イーストンエリス原作の「アメリカン・サイコ」のとんでもない奴も真偽のほどは不明だが当初ディカプリオが演ずる筈だったと以前、何かで目にした。こちらもディカプリオ版で観てみたい。

今回はなぜか「ブギー・ナイツ」を叩きたくなって来た。この叩くはキーボードを叩くであって吊るし上げるとか批判するとか否定するとかではない。だったら初めから酔いの決まったおとっつあんの様に「俺にブギー・ナイツを語らせろ」とか「僕のブギー・ナイツの話を聞いてくれよー」と言えば良いのである。なかなか導入部分は難しい。

この映画の何が僕を夢中にさせたのかと考えた。その答えの一つは至ってシンプルな物だ。中学、高校の頃に吸っていた同じ空気が画面から出ていたのだ。当然、時代の事柄がその様に感じさせている。これも理解している。でも、これだけでは足らない。もっと詳細に伝えたい。凄く大きな普遍性をも含んでいる様に思えるのだ。あの頃の空気として捉えるだけでは勿体無いのだ。全くモドカシイのだがその事を叩きたいのに言葉が繫がらない。スコセッシ監督は今年64歳になる様だ。この後もディカプリオと組んで香港発の「インファナル・アフェア」のリメイクと日本発の「野良犬」のリメイクが既に決定している様である。ハードな遣り取りの最中ではと思う。実現して欲しい。スコセッシ監督の作品はシートに座り、スクリーンで見つめたい。しかし、体調は如何な物なんだろう?と気になってしまう。やはり御高齢である。でも、作品からの受ける印象は全くエネルギッシュである。

桜が散り始めた夜に自宅にて。