スティング

スティングジェラシィーと言えばこの映画を思いだす。

中学校を卒業してから僕は有楽町線で池袋から二つ目にある高校に通い始めた。日大の付属の高校である。入学して間も無い頃は朝のラッシュに本当に参っていたのだ。中学校は所沢市の公立で地元であり、歩いて15分くらいの学校だった。友達と話をしていればすぐだった。それが1時間程電車に揺られて通学するようになってしまったのだ。西武池袋線である。自分で選択して決めた事ではあったけれど都内に通うというのは大変だなと改めて思った。この頃、ダサいと埼玉を引っ掛けて「ダサい玉」としょっちゅう言われた。要するにイケテないという事だ。ごたごたと言われるようになったのは高校に通うようになってからである。自分でも埼玉・所沢がオシャレな町だとは思っていなかったけれども面と向かって言われるとカチンと来て腹が立った。だいたいこの類の事を言う奴ほどそんなにはイケテるとは思えない奴ばかりではあるのだ。

 

そういう奴らに言われるからこそ「むかっ」と来る訳である。

 

地元の中学ではこの手の悪口は意味は無いし、存在しなかったのだ。都内に通う県民はだいたい学校、職場に関わらず現在でもぶつぶつ言われていると思う。埼玉県だけではなくて。余計なお世話である。特に頭に来たの事の一つにこんな事があったのだ。僕の通っていた高校は都民の日が休みであった。それに対して奴らは県民は休まないで学校に来なきゃならないんだろうとかほざかれた時だ。お前らに休権利など無いかのように言うのだ。今だったら「お前は都知事か?」と言い返すかもしれない。でも都内は何かと便利であり面白いと思う。ここで言う所の都内は23区内である。都民のなかにも区民と市民のバトルはあったようだ。

 

2,3ヶ月が過ぎ、ようやく通学にも学校にも慣れた頃から帰りに映画を観に行き始めた。ロードショウは高かったので当然名画座の2本立てである。ビデオは普及していなかったのだ。レンタルヴィデオ屋さんが登場するのもまだまだこの先だ。その当時映画館の数が少なく成って来ていると聞いてはいたものの名画座は在った。池袋、銀座、新宿をメインに飯田橋、高田馬場、大塚、中野、三鷹まで足を伸ばした。記憶が頼りないが2本立てで500円位だったはずだ。とてもリーズナブルな値段だったと今でも思う。

 

この頃にこの「スティング」を観たのだ。二本立てでもう一本一緒に何か観ていたはずなのだがなぜか思い出せない。僕の場合二本立てを観た時に片方の映画が特に面白かったりするともう一本の方を忘れてしまう事が多い。この時もそうであったようだ。場所は靖国通りに面したテアトル新宿だった。ここの映画館にはホントにお世話になっていたと思う。素晴らしい魅力あるプログラムを常に提供していて足繁く通ったのだ。別の機会に改めてと思っているが長谷川和彦監督の「青春の殺人者」と「太陽を盗んだ男」の二本立てを観たのもここの劇場であったのだ。

 

話を戻そう。監督はジョージ・ロイ・ヒルで1973年の作品である。僕が観たのは80年のはずだから7年も前の作品だったのだ。高校生にしてみれば7年前と言えば大昔だ。この当時は過去の傑作として意識して観た訳ではなくほとんどリアルタイムと感じて観ていたと思う。今まで観た事のタイプの映画だった。ジャンル分けする必要など無いのだけれど敢えてするならばコメディと言えばいいのだろうか?小粋でオシャレでウエルメイドだった。ラストのドンデン返しに関してはロバート・ショウ同様に見事に騙されてしまった。この罠というか仕掛けも上手すぎて悔しいというより気持ちが良い位であった。「降参です」って感じだったのだ。

 

ポール・ニューマンが列車の中でロバート・ショウにアプローチして行くシークエンスは笑いを堪えるのに必死だった。名前を何度も何度も間違える猿芝居イン演技は流石すぎる。見事なボケ倒し振りであった。相方のロバート・ショウのも小憎たらしいと同時に変な所で可愛い部分もあって存在その物がユーモアだった様な気がしたものだった。思わず相方という言葉をロバート・ショウに選んでしまったのだが映画の内容的に考えるとロバート・レッドフォードが相方になるのだろう。軽快ながらも妙に情をも感じさせる素敵なメロディをバックにセピア色のページが捲られる所もとても気持ちが良かった。

 

翌日学校に行き、回りの友達に「スティング」がお薦めだと話した。勿論結末は伏せておいた。その中に一人何と中学生の時にこの映画を既に観ていた友人がいた。それもデートだったという大きなオマケが付いていた。面白いという点では一致していて彼もみんなに損は無いよと薦めていた。僕はハッキリ言って悔しかった。

 

彼はこんなに面白い映画に中学生の時に早くも出会えていたのだ。何だか自分が田舎の子の様に感じられた。事実なので仕方が無いし、被害妄想だとは充分理解はしていたのだけれども・・・である。ましてや彼は都内在住であったのだ。結局何がこの様な思いを起こさせたのかと言うと中学時代に過ごした時間が彼の方が洗練されていたのでは?という焼きもちである。冒頭でジェラシィーと記したがひがみ以外の何物でもない。県民の都民に対する怒りなのかもしれない。手を少し伸ばせば届く所に映画だけに関わらず、色々な魅力ある物が近くに転がっている様な錯覚に捕らわれていたのだと思う。一本の映画に関しては大袈裟過ぎると、今は思えるのだが当時はそうゆう訳には行かなかった。

 

これは「スティング」という映画にも責任は無いのではあるが僕的には確かな証拠みたいな物であり、お門違いとは百も承知の上でも責任を取って欲しいくらいであったのだ。この映画にさえ出会わなければこんな事は考えなかったのかもしれない。でも、もし、この映画に出会わなかったらJ・アービング氏原作の同監督の「ガープの世界」にも巡り会えなかったかもしれないのだから出会えてよかったのである。

 

先日ネットで2002年12月27日にこの作品の監督ジョージ・ロイ・ヒルが死去していたという記事を目にした。全く知らなかった。監督の実年齢も同じ様に知らなかったのでそう言えば最近は新作の話が無いよなぁーと思っていた。ジョン・ル・カレ氏原作の「リトル・ドラマー・ガール」(84年)が僕にとっては最後の作品である。僕も16歳だったのだから監督さんも当然の様に歳はとっているのだ。改めて41歳のオジサンは歳月という物を考えてしまった。享年80歳だったそうだ。計算してみるとこの「スティング」は1973年の作品なので51歳の時の作品だ。16歳の何も知らないただただ生意気なだけが取り柄の高校生をここまで楽しませたのだから改めて敬意を表したいものである。

 

叩いていて今、思い出したことがある。そぉー言えば俺には「グッバイ・ガール」というこれもまたスペシャルに上質のラブコメが有った。これは確か中2の頃に観ていたはずだ。果たして彼もやはりデートでこれも観ていたのであろうか?観ていなかったら何となく「引き分け」とニール・サイモン氏も言ってくれるのではないのだろうか?実際の所、何が引き分けなのか叩いている本人も分かってはいないが。しかし、『この俺には「グッバイ・ガール」が有った。』という訳の分からない強がりは何なのだろうか?ハーバート・ロス監督や大人となっているであろうクィン・カミングスもいい迷惑だよなぁ。「天国から来たチャンピオン」の話はねぇーのかよ?と言う様な方は居るのだろうか?