グラン・ブルー Part 1

グラン・ブルー 完全版 ―デジタル・レストア・バージョン― [DVD]All Rights Reserved.

2001年12月23日(日)

フランス人ジャック・マイヨール氏がイタリア北西部のエルバ島の自宅で死んでいるのが発見された。地元警察の発表によると、首吊り自殺であり、74歳だったという。24日(月)たまたま付いていたテレビでこの事を聞いた。詳しい事は一切分からない。ただ、その事実だけが報告され、耳に飛び込んできた。

驚いてしまった。

僕の勝手な思い込みではあるのだが世俗を超越した方の様な気がしていたのだ。自殺という行為とはとても遠い方だと感じていたのだ。ましてやクリスマスを前にしてである。

もう、10年以上も前の事である。僕は伊豆の海洋公園でスキューバーダイビングのライセンスを取得した。それから沖縄県の具志川市という所に行きペプシコーラの配達をしながら半年ほど過ごした。夏の盛りから翌年の初めまでの間であった。年明けに名護という所で花見をしてからこちらに戻ってきた。かなり長い24歳のある筈の無い夏休みだったと思う。

雰囲気を自己演出して、行きの交通手段は、2泊3日の船だった。ちなみに飛行機では2時間10分である。高校生の二年の夏休みに10日間程北海道を旅行した。帰って来てから今度は南の方に行きたいと漠然と思った。その時は鹿児島でも福岡でもよくてとにかく本州と離れていて南であればよかったと思う。行きの船の中でふとこの事が思いだされた。

甲板に出て勢い良く飛んでいる飛び魚に眼を奪われている時だった。大学時代はこの事は忘れていたのであろうか?こうして考えてみればどうして行かなかったのであろうか?これはまた別の機会に考えてみたい。しかし飛び魚の滞空時間の長さには正直驚いた。思っていたよりかなり長かったのだ。勇姿という言葉では足りない位の素晴しい飛びっぷりであった。

1988年、沖縄から帰って来てからフリーダイビングの選手が主人公の映画がある事を知り早速観に行った。「グラン・ブルー」である。劇場の前に行くと既に看板が変わっていた。新宿プラザ劇場である。情報誌をチエックして行かなかったので仕方無かったのだけれどもロードショウしてから一ヶ月も経ってなかった筈である。「やっぱりマイナーな作品だったのか。お客さんが来なくて早めに打ち切られたのかな」とその時は思った。実際のところ僕自身もフリーダイビングという競技もよく知らなかったし、リユック・ベッソンって誰?今まではどんな作品があるの?フランスの映画なのか・・・だいたいこんな感じであった。

何となくポスターの色の感じとイルカの飛び跳ねている絵とダイビングという言葉に僕は惹かれたのである。リユック・ベッソンと言えば現在では常に新作を待たれる監督でありプロデューサーとしても名前を目にする機会が多い。この作品自体は現在となっては伝説に近い物になっていると思う。ただ公開直後はそんなには話題には成っていなかったのでは?と僕は思っている。実は一部では大騒ぎになっていてカルト的なファンがいることなど知ったのは僕に限れば2,3年後の事だった。

映画は好きでよくビデオも含めて観ている。だいたい「観たい」という基準は監督さんだったり役者さんだったりする事が僕は多い。ただこの映画に関しては海が舞台という所がそのポイントだった。加えてイルカである。今から考えれば「がんばれ!フリッパー」のシリーズなんかもイルカと海の青さが見たくて観ていたと思う。ところで「フリッパー」のシリーズはフランスでもテレビで放映されていたのであろうか?リユック・ベッソンは「フリッパー」を観ていたのだろうか?

僕が結局「グラン・ブルー」を観たのは翌年の89年の初夏でビデオになってからである。ストーリーとか役者さんが何処かに行ってしまった。これはストーリーが面白くないとか役者さんが魅力的ではないという事ではない。ロザンヌ・ア-クエットがパスタを食べるシーンはウルトラ可愛いし、ジャン・レノがピアノを弾く所はメチャメチャお洒落だったし、ジャン・マルクバールがイルカを見つめる眼差しと言ったら慈愛そのものであった。

ストーリーにしても無理も嫌味もなかった。海・男・女・ロマン・夢という要素が上手くからまって確かな宇宙が繰り広げられていたと思う。ただ、僕に限ってみると青という色に全ての神経が集約され奪われてしまったのだ。この映画には青という色の全てがあったと思うのだ。てれもなく言ってしまうが俺は青という色が好きなのだ。青という色は一番安易な所で青春を想像させる下品な色である。と、一方では思うのだけれども。

みなさんもご存知だとは思うのだけれどもこの映画でジャン・マルク・バール演ずるジャック・マイヨールこそ、この方がモデルだったそうなのだ。

Wikipedia ジャック・マイヨール