東 基輔by  東 基輔Published:2009年06月26日 金曜日 17時49分

   
 

 

 

 

青豆とタマルの二人のやりとりが好きだ。

 

 

 

二人はめおとでも恋人でも同士でも友人ですらも、ない。

 

彼女も彼もその様な関係をお互いに御望みでは無いと思う。

 

お互いがお互いにお互いの成り行きで

 

顔を合わせる機会が多かった・・・。

 

・・・ただ、それだけの事だろう。

 

それだけの事なのに二人の間に漂い、行き交う空気は濃密だったと、思う。

 

不思議な気もするが至極当たり前の様な感じもする。

 

お互いがお互いをジャッジして見極めた瞬間に得られる

 

「繋がり」が二人には在ったのだろうか?

 

この「関わりの様な物」は

 

負の要素で結ばれ負の要素でしか

 

花開かないのだろうか?

 

「負」と「負」の要素で繋がって

 

結果がどうであれ、暫く時を経たらその事自体が

 

「聖」や「正」に「生」になる時も在っても良いんじゃないのかな?

 

タマルの青豆に向けられたある言葉に僕は随分と揺さぶられた。

 

中ガッコの時に「数学」の授業で教わった時には

 

大前提として疑問の余地すら無く「正」に成るとの事だった。

 

 

 

村上春樹氏の2009年度の書き下ろしの新作である。

 

新潮社からの出版で長編の作品としては7年半ぶりだそうである。

 

 

 

1984年と言えば、僕が20、21歳の頃である。

 

村上春樹氏の作品を手に取り始めたのもこの頃だった気がする。

 

「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」とか

「Wの悲劇」とか「ビバリー・ヒルズ・コップ」とか

「プレイス・イン・ザ・ハート」とか「パリ・テキサス」とか

「スカー・フェイス」とか「アマデウス」などを見ていた頃だ。

 

ジョージ・オーウェル氏の1948年の小説「1984」が

 

映画化されたのもこの頃だったと記憶している。

 

僕は未見で未読である。

 

 

現在、BLUES BROTHERSの

 

「EVERYBODY NEEDS SOMEBODY TO LOVE」を聞きながらだ。

 

 

 

ボルドーの重たい赤でフォアグラを食すという

 

罪の様な官能を知ったのもこの頃だ。

 

ソースは少し甘くトリュフが散りばめられているのが好きだった。

 

17,8歳の頃から仏料理の虜となり、

 

この頃から食べ進めるメソッドの様な物を僕は会得し始めていたのだ。

 

以上の五行はボルドーのその色以上の深紅の真っ赤な大嘘である。

 

 

でも、この頃あたりから急速にこういう時間を

 

持てた人々は居たんだろうなぁ。

 

実際に・・・。

 

ぼくの実際は「村さ来」とか「やるき茶屋」とか「天狗」とかで

 

「若鳥の唐揚げ」とか「じゃがいものピザ風」とか「豚肉の柳川風」

 

などでライムやレモンのサワーであったのだ。

 

そういうお年頃の僕だったのだ。

 

今でも昔ほどは情熱的に接してはいないが嫌いでは、無い。

 

 

 

「トラウマ」という単語は日常でごくごく普通に耳にする。

 

テレビ・新聞・雑誌・・・などの「メディア」からではない。

 

何時の頃から日常でこの単語が流通し始めたのだろう?

 

僕が「へらへら」としていたこの頃はあまり聞いた事が無かったと、思うのだ。

 

 

 

ジョン・ベルーシーさんは82年に薬物の過剰摂取で亡くなっている。

 

仲の良かったであろうダン・エイクロイドさんはさぞかし・・・。

 

「ドライビング・ミス・デイジー(89)」での

 

ダン・エイクロイドさんは良かった。

 

この映画の彼を観た時に僕は別の部分で凄く嬉しかったのだ。

 

作品自体の内容とは掛け離れている部分だった、とも思う。

 

でも、この映画その物も好きだ。

 

近くに居る人はとてもとても大切なのだ。

 

余談である。

 

 

 

さて、「リトル・ピープル」である。

 

何なのだろうか?僕には解らない。

 

「空気さなぎ」も、だ。

 

 

 

この「1Q84」という作品はフィクションである。

 

このフィクションの作品に織り込まれた

 

ノンフィクションの組織やら団体やら個人やらを

 

僕の記憶からそして現実の事件から想像をしてしまう。

 

加えてキーボードを叩くとなれば氏の著作の

 

「アンダーグラウンド(97)」と「約束された場所(98)」が

 

在るからなのだ。

 

 

人には自分が大切に思える誰かが必要で

 

そしてさらに

 

人には自分を大切に思ってくれる誰かが必要なのだ。

 

と、この小説を読んでいて改めて感じた。

 

そして「良かれと思っている事」その物が

 

「厄介」の根源に成りうる事をも、である。

 

 

 

読後、「青豆」のファンになってしまった僕は

 

「華麗なる賭け」(ノーマン・ジュイソン監督・1968年)

 

スティーブ・マックィーン、フェイ・ダナウェイ共演の映画を

 

観たくなってレンタルヴィデオ屋さんに自転車をたちこぎして

 

かっとんで行った。

 

しかしながら「当店には・・・。ございません。申し訳有りません」

 

と、20歳位のアルバイトの男の子に言われた。

 

ざんねんであった。

 

 

 

今度のオフにはトラン・アン・ユン監督の

 

「青いパパイヤの香り(94)」を観たいと、思っている僕がいる。

 

監督はヴェトナム系のフランス人であるそうだ。

 

幼少の頃にパリに移住されたらしい。

 

移住された要因は「戦争」であろう。

 

有ってレンタル出来ると良いよなぁ。

 

監督は僕と「生」を受けた頃が近い様なので・・・。

 

期待が高まるので小・中ガッコの頃には大嫌いだった

 

予習を余儀なくされるのである。

 

 

 

 

 

 

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東 基輔by  東 基輔Published:2009年06月02日 火曜日 21時08分

 

 

 

過日、読了。

 

読了したにはしたのだけれども・・・。

 

 

越智道雄さんと町山智浩さんの対談形式の新書である。

 

09年の1月に集英社から出版された本だ。

 

 

お二人のお話に出て来る僕が把握できない

 

映画やら本やら人物やら宗教やら

 

合衆国や各国の政策やら経済などの名詞が多くて大変だった。

 

「注」は親切だ。

 

まぁ、少しずつ消化して行くしかないのだ。

 

消化する為には面倒な事が多い。

 

・・・が、それなりに栄養にもなるし、気持ちが落ち着くのだ。

 

 

 

ここ1、2年程「町山智浩さん」にはまっている。

 

僕は単行本が中心なのである。

 

とても御活躍で新聞、雑誌などでも

 

その文章に触れられる事は多い。

 

単純に興味深く、面白い。

 

 

 

越智道雄さんは明治大学の名誉教授で

 

英語圏新世界諸国の比較文化研究がライフワークだそうである。

 

 

冒頭のFINALLYで町山さんが越智道雄さんの事を

 

「勝手にわが師と仰いでいる」と記されていた。

 

僕は越智道雄さんの事はほとんど知らなかったので「?」と思った。

 

読了後、越智教授と呼びたくなった。

 

僕が勝手に頼りにしている「アニキ」の「師」は

 

僕にとっては「教授」だろう。

 

 

町山さんの記された通りで

 

「アメリカ建国からオバマ政権までの流れ」

 

としてこの新書の対談を捉えれば、と、とりあえず

 

僕は整理している。

 

「オツリ」が多すぎて困ったモンである。

 

 

 

ただ僕の中で凄く気になる言葉が一つあった。

 

町山さんの発言で「ポスト無神論」と言う言葉だ。

 

「追跡」する以外に仕方が無い。

 

追っかけても、追っかけても「答え」の様な物は

 

出ては、来ないだろうが・・・・・。

 

 

ふと、このお二人に加えて

 

手島龍一氏や佐藤優氏や村上龍氏や村上春樹氏や

 

故・司馬遼太郎氏や故・河合隼雄氏に彼の国について

 

皆様の座談会の様な物を聞いてみたいなと、思った。

 

在り得ないのは「承知」なのだけれども・・・・・。

 

 

たまにこんな妄想に駆られる僕がいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

越智道雄教授のエピローグも

 

随分と随分と柔らかくて素敵だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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